はじまりの季節 — 第5話
【35歳・独身の孤独感】居場所を失った男の再出発|オソコイ 30代の恋愛体験ストーリー
主人公: 35歳 / データ入力
有名国立大学を卒業したという経歴は、雅也の人生において、もはや隠すべき重荷でしかなかった。 35歳の雅也が現在働いているのは、下町の路地裏にある小さな物流倉庫の事務所だ。手取りは17万円。主な仕事は、毎日送られてくる伝票の数値をひたすらPCに入力するだけの単純作業だった。
「雅也くんはさ、いい大学を出てるのになんでこんなとこにいるの?」 タバコの煙が充満する給湯室で、パートの女性や先輩社員たちから何度もそう言われてきた。そこには悪意はなく、ただの素朴な疑問なのだが、そのたびに雅也の胸はナイフで抉られるように痛んだ。
学生時代、雅也は勉強だけは得意だった。しかし、極度の対人恐怖症があり、就職活動の面接では一度もうまく話せなかった。緊張のあまり言葉に詰まり、頭が真っ白になり、結果は全敗。同期たちが大手企業に就職していく中、雅也は心を病み、ドロップアウトした。 物流倉庫の同僚たちの話題は、いつもギャンブルや車の話、あるいは芸能人の噂話ばかりだった。雅也が好きなクラシック音楽や、科学の雑学の話ができる相手はどこにもいない。高学歴ゆえに「インテリぶっている」と敬遠され、かといって仕事ができるわけでもない彼は、どこに行っても孤立していた。
アパートに帰り、半額の惣菜を食べるだけの夜。 実家の母親からは、時折「体は大丈夫か」と心配する連絡が来るが、それすらも「期待に応えられなかった出来損ないの息子」としての罪悪感を刺激した。自分の価値はゼロだ。社会のどこにも、自分の椅子は用意されていないのだと確信していた。
そんなある日、雅也はスマートフォンの画面で、あるマッチングアプリの広告を目にした。 「誠実な出会い、1対1の対話を大切に」 普段なら無視するはずの言葉だったが、その夜は違った。現実の社会で誰とも会話を交わさない雅也にとって、画面の向こうにいる誰かと「文字だけでいいから話したい」という欲求が、飢えのように強くなっていた。
雅也はアプリをダウンロードし、自分のプロフィールを書き始めた。 学歴の欄には、あえて大学名を書かず「大卒」とだけ登録した。嘘は書かない。しかし、誇るべき過去もない。
『はじめまして、雅也と申します。35歳です。大学を卒業しましたが、人と上手く話すのが苦手で、現在は小さな物流会社でデータ入力の仕事をしています。手取りも少なく、華やかな暮らしとは無縁ですが、静かな読書や音楽が好きです。同じように、少し静かな時間を大切にしたい方と、ゆっくりお話しできたら嬉しいです』
正直に「低賃金で事務をしている」と書いた。マッチングアプリという市場において、年収の低さは致命的な欠陥であることを彼は知っていた。しかし、虚飾の自分を作って誰かと会う勇気はなかった。
登録してから1週間、雅也のメッセージボックスは沈黙を保っていた。やはり自分には価値がないのだと諦め、アプリを消そうとしたその日の夜、1件のメッセージが届いた。 相手は33歳の「佳奈」という女性だった。プロフィールには介護施設で働いているとあり、控えめな笑顔の写真が掲載されていた。
『雅也さん、はじめまして。プロフィールを拝見し、とても静かで誠実な印象を受けました。実は私も、人見知りで話すのが苦手で、仕事で疲れた日は一人で静かに過ごすことが多いです。私もクラシック音楽が好きで、よくバッハの曲を聴いています。もしよければ、お話ししませんか?』
雅也は、自分の目を疑った。 学歴や年収といったスペックではなく、自分の「静かな時間を好む」という内面を見てくれた人がいたのだ。 そこから、2人のメッセージのやり取りが始まった。雅也は音楽の話題や、お互いの好きな本について、文字を通して少しずつ心を開いていった。面接の時のように、言葉に詰まることも、相手の目を見て怯える必要もなかった。
1ヶ月後、2人は静かな喫茶店で会うことになった。 当日、雅也は緊張のあまり、何度もハンカチで汗を拭った。また就活の面接のように、自分が黙り込んでしまって嫌われるのではないかと怖かった。
「雅也さんですか?」 現れた佳奈は、メッセージの通り穏やかな声をしていた。 「あ、はい……はじめまして、佳奈さん」 雅也がぎこちなく頭を下げると、佳奈は柔らかく微笑んだ。 「お会いできて嬉しいです。メッセージの時と同じ、とても落ち着いた雰囲気の方ですね」
会話の合間に、静かな沈黙が訪れた。雅也が「何か話さなければ」と焦りかけたとき、佳奈が静かにコーヒーカップを置いた。 「雅也さん、無理に話そうとしなくても大丈夫ですよ。私、この沈黙が全然苦じゃないんです。雅也さんが一生懸命、言葉を選んで話してくれているのが伝わってきて、なんだか安心します」
その瞬間、雅也の胸の奥で、何かが静かに崩れ落ちた。 面接官のように「もっと大きな声で話せ」「自己アピールをしろ」と要求する人は、ここにはいなかった。不器用で、話すのが遅く、社会のレールから外れてしまった自分のままでいいのだと、初めて許されたような気がした。
「私、雅也さんのそういう優しいところ、すごく素敵だと思います」 佳奈の言葉が、雅也の冷え切っていた心に、じんわりと温かく染み込んでいった。
国立大学卒という経歴も、手取り17万円という現実も、ここでは関係なかった。 帰り道、夕暮れの街を歩きながら、雅也は佳奈と次の休みに小さなコンサートへ行く約束をした。 自分の椅子は、社会の面接会場にはなかったかもしれない。けれど、こうして目の前で微笑んでくれる人の隣に、自分の居場所は確かに存在していた。雅也は、数年ぶりに胸を張って、自分の人生の1歩を踏み出していた。
30秒でわかる!
あなたの「オソコイ(遅恋)タイプ」診断
いくつかの質問に答えるだけで、あなたの恋愛が遅れた原因を分析し、一番共感できる「あなた向けのストーリー」を診断します。