はじまりの季節 — 第6話
【35歳・画面の中の女】独身男の孤独と一歩踏み出す勇気|オソコイ 30代の恋愛体験ストーリー
主人公: 36歳 / 会社員
深夜2時、暗闇の部屋でスマホの画面を上にフリックし続ける親指だけが、自分の生存を示す唯一のパーツだった。 36歳の俊介は、ベッドの中でYouTubeのショート動画を眺めていた。数秒ごとに切り替わる刺激的な映像をただ網膜に映し、数十分前には何を見ていたかも思い出せない。そんな暇つぶしのうちに、今日という1日がまた何の足跡も残さずに消えていこうとしていた。
「俺は、何のために生きているんだろう」 枕元で点滅するスマホの光を見つめながら、俊介は胸の奥を冷たい風が通り抜けるような虚無感に襲われていた。 日中は中堅企業でルーティンワークをこなし、定時に帰宅する。その後はソシャゲのデイリーミッションを義務のようにこなし、SNSを開いては大学時代の友人たちが「子供が産まれました」「マイホームを買いました」と人生のコマを進めているのを見て、静かにブラウザを閉じる。そんな毎日をここ数年、いや10年近く繰り返してきた。
ゲームのキャラのレベルは上がり、SNSのタイムラインは消費しきれないほどの情報で溢れている。しかし、どれだけ画面をタップしても、自分の現実の人生は1ミリも進まない。誰とも繋がっていない、何も生み出していないという事実が、深夜になるたびに彼を圧迫した。このまま画面の光に溶けるようにして、孤独に老いていくのだろうか。
そんな焦燥感に耐えかねたある日、俊介はソシャゲのアイコンの隣に、マッチングアプリをインストールした。 「どうせ自分には無理だ」と、いつもの諦め癖が首をもたげたが、これ以上「他人の人生の観客」でいることに耐えられなかった。画面の中で消費されるだけの受動的な毎日から、能動的に誰かと関わる世界へ、無理やりにでも手を伸ばしてみたかった。
プロフィールの作成画面に向かった俊介は、キーボードを叩いた。
『はじめまして、俊介と申します。36歳です。平日は会社員をしています。休日は家で動画を観たりゲームをしたりして過ごすことが多く、気づけば1日が暮れているような、そんな変化のない毎日を送っています。ふと、このままただ時間を消費していくことに寂しさを感じ、誰かと他愛のない会話をし、現実の温かさを感じたいと思って登録しました。インドア派ですが、もしよければ美味しいものでも食べに行けたら嬉しいです』
「毎日を無為に消費している」という冴えない自己開示だった。しかし、SNSで見るようなキラキラした自分を捏造する元気はなかった。ありのままの寂しさを書くことだけが、彼の最後の誠実さだった。
数日後、アプリの通知音が鳴った。それはソシャゲのスタミナ回復の通知ではなく、34歳の「陽子」という女性からのメッセージだった。 プロフィールには一般事務とあり、散歩が好きだと書かれていた。
『俊介さん、はじめまして。プロフィールを読んで、とても親近感を覚えました。実は私も、仕事が終わると家でなんとなく動画を観て終わり、という毎日で、何のために生きているんだろうと寂しくなることがありました。俊介さんの言葉がとても素直で素敵だなと思い、メッセージを送らせていただきました』
俊介の親指が、今度は動画をスクロールするためではなく、画面の向こうの陽子に自分の言葉を伝えるために動き出した。 昨日見た面白かった動画のこと、最近遊んだゲームの話、あるいは「なんとなく過ぎていく毎日の寂しさ」について、2人は静かに語り合った。陽子の言葉は温かく、俊介の乾いた心に水分のように染み渡っていった。
2週間後、2人は日曜日の昼下がりに、カフェで会うことになった。 当日、俊介は数年ぶりにクローゼットの奥からアイロンをかけたシャツを取り出し、袖を通した。スマホの画面を見つめるだけの時とは違う、現実の緊張感で胸が苦しかった。
「俊介さん、ですか?」 カフェの入り口で声をかけてきた陽子は、薄いベージュのカーディガンを着て、少し緊張した面持ちで立っていた。 「はい、俊介です。はじめまして、陽子さん」 お互いに照れくさそうに笑いながら、窓際の席に座った。
コーヒーが運ばれてくると、2人は自然とメッセージの続きを話し始めた。画面越しではない、陽子の声のトーン、表情の変化、そしてカップを持つ手の温かそうな仕草。そのすべてが、俊介にとって新鮮で、強烈なリアリティを持っていた。 「俊介さんとお話ししていると、いつもの寂しい日曜日が、すごく特別な日に思えてきます」 陽子が少し恥ずかしそうに微笑みながら言った。
その言葉を聞いたとき、俊介は自分の胸が熱くなるのを感じた。 ソシャゲでレアなアイテムを手に入れた時よりも、SNSで「いいね」をもらった時よりも、目の前の女性が自分との時間に価値を見出してくれたことの方が、何百倍も嬉しかった。
生きる目的は、どこか遠くの偉大な場所にあるのではない。 「誰かのために美味しいお店を探すこと」「誰かの笑顔を見て、自分も嬉しくなること」。そんな、誰かと関わる日常の小さな営みの中にこそ、目的は宿るのだと、俊介は初めて理解した。
店を出ると、夕方の涼しい風が吹いていた。俊介はスマホをポケットにしまったまま、陽子の歩調に合わせてゆっくりと並んで歩いた。 「今度、美味しいイタリアンのお店があるんですけど、一緒に行きませんか?」 「はい、ぜひ!」 陽子が弾んだ声で答える。
深夜のベッドでスマホを見つめていたあの頃の俊介は、もういない。彼の親指は今、次の週末の予定をカレンダーに登録するために、現実の光の中で動いていた。
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